愛知には縁結び、金運、健康運を願うための多くの聖地が点在しています。
2024年の開運祈願に、おすすめのスポットを紹介します。
大須観音
大須観音は、名古屋のシンボル的存在です。
名古屋市内にある真言宗のお寺で、日本三大観音の一つとされます。
なごや七福神のひとりである布袋像が置かれていたり、『古事記』の
最古写本など歴史的に貴重な書物が,たくさん所蔵されている「真福寺文庫」
があるなど、見どころがあり多くの参拝客が訪れます。
1333年に創建され、明治時代の火事と戦争で焼失しましたが再建されました。
戦前まで大須で栄えて賑わっていたお寺は、七堂伽藍で有名な七寺でした。
大須観音も七寺も空襲で焼失しますが、戦後、七寺の七堂伽藍は再建の
期待はあったものの再建されることはなく、大須観音が栄え、
大須のシンボル的なお寺となっています。
繁華街の中にありアクセスに便利な立地です。
大須 三輪神社
三輪山に祀られた大物主神(大国主神・大黒様)を祭る神社で、縁結びの祈願が人気です。
御神木である「縁結びの木」は、樹齢450年と推定される「クスノキ」です。
縁むすび守に赤い糸を結び、大切に持ち歩くと願い事がかなうと言われています。
御祭神の大物主神は大国主神と同一と言われ、神話「因幡の白兎」で有名な
うさぎの石造があるんです。
うさぎは神様のお使いで、撫でることで幸せを分けて頂けます。
また、撫でた所の痛みを取ってくれるとも言われています。
うさぎは、とても縁起のいい動物と昔から言い伝えられていて、
ぴょんぴょん跳ねることから運気を上げてくれて、
また、長い耳は福を集めるとされています。
天寧寺
縁結び絵馬や守り土鶏が特徴の古寺で、鶏は三宝大荒神の使いとされてます。
本堂に隣接する三宝殿に、織田信長がわが子の成長を祈願して祀ったとされる主本尊
「三宝荒神」が鎮座しております。神道の荒御霊(あらみたま)
が変化したものと言われていて、御姿は「不動明王」に似てます。
守鶏絵馬の雄鶏に願い事を書き、成就したら雌鶏にお礼を書いてお参りします。
また、鶏は子どもの夜泣き虫封じにもご利益があると伝えられています。
織田信長も天寧寺で我が子の無事成長を祈願されてるんですね。
現在も土製の守鶏、守鶏絵馬は天寧寺で授与されております。
東京駅構内の「エキュート東京」の休憩スペースに、全国から集められた郷土玩具の中に
天寧寺の守土鶏も展示されております。
真清田神社
尾張地方において、非常に名高い神社で、市内はもちろんのこと、
尾張地域全体から多くの崇敬を受けています。
この神社は一宮市の中心に位置し年間で約120万人の参拝者が訪れます。
特に正月の1か月間には約40万人の参詣者が訪れ、年間の中でも
初詣が特に盛大な行事となっています。
この期間中、境内と参道には約50の露店が出店し、
一年の平和と幸運を願う参拝者たちで賑わいます。
尾張地域において、この神社は非常に有名で氏子や崇敬者から
大きな尊敬を受けています。
真清田神社は、平安時代に国家から国幣の名神大社と認定され、
“尾張國一之宮”として国の支配者を含む多くの人々から崇拝されました。
祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)で、鎌倉時代には
順徳天皇から多数の舞楽面(舞楽で使用される仮面)が奉納されました。
これらの舞楽面は今もなお重要な文化財として保存されています。
縁結びの縁むすび守には2本の赤い糸が入っており、1本は境内に結び、
もう1本は持ち歩くことで願い事が叶うとされています。
犬山成田山
不動明王に祈りを捧げる別院で、不動尊霊場として知られています。
千葉にある成田山新勝寺の別院になります。
名古屋の人々が信徒さんが千葉まで度々参拝するのが大変だった為、
昭和28年(1953年)に中部地方最大の不動尊霊場として
開かれました。
交通安全のお寺としても有名で、境内には
四国八十八ヶ所のお砂踏霊場などもあります。
三光稲荷神社
城山のふもとにある三光稲荷神社は、歴史ある神社です。
この神社は古くから「三光寺さん」として知られ、地元の人々だけでなく、
遠くからも厚い信仰を受けてきました。
毎年7月22日、大祭日として祝われ、家族は赤い提灯を笹の先に取り付け、
暗くなるとそれに火を灯して神社を訪れる習慣がありました。
この日、木曽川下流ではたくさんの提灯を灯した巻き藁舟が
お囃子を奏でながら川を浮かび、提灯の灯りが川面に揺れる様子は
非常に幻想的であり、夏の風物詩として親しまれてきました。
犬山城の麓にある三光稲荷神社は、縁結びや金運を祈願するための
スポットとして人気です。
ピンクの絵馬や銭洗池があり、多彩な縁起を持つ神社として知られています。
大縣神社
開運招福の神社で、四つ葉のクローバーがモチーフの絵馬や開運招福ミニ鳥居、
むすひ池などがあります。縁結びの神様として信仰されています。
この神社は、尾張開拓の祖神である大縣大神を祭っており、
古代から朝廷や庶民に深く崇敬されてきました。
尾張の二宮様として親しまれ、繁栄と厄除けの守護神として崇拝されています。
この神社は非常に古い歴史を持ち、神話によれば、大縣大神はかつて濃尾平野を
見下ろす本宮山の頂に鎮座していましたが、垂仁天皇の治世に現在の場所に
新しい神殿を建て、遷座されたと言われています。
この神社は延喜式神名帳にも名神大社として登録され、大正7年に
国の重要な社として認定されました。
現在の神社の建物は、尾張藩主2代目の徳川光友によって寛文元年(1661年)に再建され、
尾張の伝統的な建築様式を忠実に受け継いでいます。
特に本殿は、独自の「三棟造」および「大縣造」の様式で、他に類を見ないものです。
このため、昭和56年に国の重要文化財として指定されました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
旅行などで行かれた際には、立ち寄ってみるのも良いかもしれません。
その雰囲気に触れることで新たな活力を得ることができます。
2024年を特別な年にするために効果的とされる神社を選んで幸運な年にいたしましょう。